オードリー・ヘップバーンの魅力
1993年1月20日63歳の若さでオードリー・ヘップバーンはその短い生涯に幕を閉じました
オードリー・ヘップバーンが活躍した時代は50年代
当時の大スターはマリリン・モンロー
豊満でグラマラスな体系が良しとされ、それが女性らしさだった時代にオードリー・ヘップバーンはどちらかというと華奢でやせっぽっち
戦争の時代に餓死寸前を経験してしまってから、太れない体質になってしまったオードリー・ヘップバーン自身も痩せていることにコンプレックスを頂いていました
しかしオードリー・ヘップバーンのスレンダーな体系に憧れ、大きな瞳、長い脚が魅力的な女優として地位を確立していきました
彼女の素顔、彼女の発した数々の名言、生き様は今なお多くの人々を魅了し続けています
“私のルックはすぐ真似できるわ、大きなサングラスとノースリーブドレスを着ればね”
私のルックはすぐ真似できるわ、大きなサングラスとノースリーブドレスを着ればね
「オードリー・ヘップバーン」
女優として有名になっていっても彼女の気さくさは変わらず、いつも1番大切にしていたのは“家族”
大きなサングラスとノースリーブドレスは「ティファニーで朝食を」での衣装の事
映画を見ていない人でも1度は目に触れた事はあるんじゃないでしょうか
映画公開当時はニューヨーク5番街にあるティファニーは宝石店でレストランではなかったんですが、この映画の影響を受けてブランド初のダイニングスペースがオープンした程
時代を超えて影響力のある映画だったんですね
“不可能なことなどないわ。Impossible(不可能)という単語自体に、I’m possible(私にはできる)と書いてあるのだから”
不可能なことなどないわ。Impossible(不可能)という単語自体に、I’m possible(私にはできる)と書いてあるのだから
「オードリー・ヘップバーン」
彼女の代表作でありデビュー作「ローマの休日」
女優としてほぼ無名の状態で公開された映画は大ヒット
オードリー・ヘップバーンは一躍スターダムに
そしてその年のアカデミー主演女優賞を受賞
その偉業は当時のハリウッド映画史上初でオスカー史上としても稀にみる快挙を成し遂げる
この映画が初めてのハリウッドでの海外ロケ映画だったりと初めて尽くし
彼女が“不可能なことなどないわ”と言うと本当にそう思えてくる
“魅力的な唇のためには、優しい言葉を紡ぐこと。愛らしい瞳のためには、人々の素晴らしさを見つけること”
魅力的な唇のためには、優しい言葉を紡ぐこと。愛らしい瞳のためには、人々の素晴らしさを見つけること
「オードリー・ヘップバーン」
オードリー・ヘップバーンは数々の名言を残している
その言葉の中でもオードリー・ヘップバーンの人柄を物語っているような言葉がこちら
でもこの言葉はオードリー・ヘップバーンが気に入っている サム・レヴェンソンの“Time Tested Beauty Tips(時の試練によって磨かれる美)”の詩をオードリー・ヘップバーンの最後となるクリスマスに子供たちに読み聞かせたというエピソードが誤ってオードリー・ヘップバーンの言葉として広まってしまったらしい
オードリー・ヘップバーンは動物好きでも有名で 夫のメル・ファーラーからプレゼントされたヨークシャテリアの「フェイマス」は一緒に世界中を旅するため、特別ビザを持っておりいつでも一緒にいたという
“男女が愛し合う。それはまず、いつも理解しあうことから成立するものだと思うの”
男女が愛し合う。それはまず、いつも理解しあうことから成立するものだと思うの
「オードリー・ヘップバーン」
1954年に俳優のメル・フェラーと結婚した時には、スイスの自宅と仕事場であるハリウッドをよく往復していたそうです。どんなに忙しくても夫婦の時間を優先するそのライフスタイルは、その後彼女がメル・フェラーと離婚して、アンドレア・マリオ・ドッティと再婚してからもずっと変わらなかったんだそう。
パパラッチに追われショービジネスの世界とプライベートをきっぱりと完全に分けるパイオニア的な存在だったとも言われています
スイスとアメリカ
オードリー・ヘップバーンも遠距離恋愛だったんですよね
会える時間が限られているからこそ愛に素直に生きる
お互いを真に理解し合うからこそ距離が離れていても愛で繋がっていられる
当時は携帯もないから余計にお互いの信頼関係が大事だったような気がします
“愛は行動なのよ。言葉だけではだめなの”
愛は行動なのよ。言葉だけではだめなの。言葉だけですんだことなど一度だってなかったわ。私たちには生まれたときから愛する力が備わっている。それでも筋肉と同じで、その力は鍛えなければ衰えていってしまうの…
「オードリー・ヘップバーン」
オードリー・ヘップバーンは俳優業を引退し ユニセフ親善大使に就任します
幼少期の戦争体験から世界の恵まれない子供たちのために活動したいと思っていました
わたしは、ユニセフが子どもにとってどんな存在なのか、はっきり証言できます
「オードリー・ヘップバーン」
なぜって、私自身が第二次世界大戦の直後に、食べ物や医療の援助を受けた子どもの一人だったのですから
オードリー・ヘップバーンの行動とは男女の愛についてだけでなく
未来への愛のため行動に移している所に愛の深さを感じます
愛は行動
シンプルだけど日々の努力の積み重ねが大きな愛になる
彼女の言葉に奮い立たされる自分がいます
まとめ
映画というメディアで届けられる作品だけを見るのではなく
そこに関わった人々の人生を紐解く事でより映画を楽しめるのではないでしょうか
オードリー・ヘップバーンの作品とオードリー・ヘップバーンの生き方
女優として女性として、母として、そして1人の人間として
彼女の人生は決して華やかなだけではなかった
2度の離婚と数回の流産を経験
彼女は人知れず苦しみ、たくさんの涙を流していたんだと思います
だからこそ人の痛みがわかる優しい言葉を投げれる立派な人だったんたと思います
今後愛に悩んだ時、僕はオードリー・ヘップバーンを思い出すでしょう
きっとその先に光を照らしてくれるはず